1.徹が生まれるまで〜不妊治療のこと〜
30歳で結婚し、その後も仕事を続けていた私は、結婚4年目と5年目に流産を経験しました。
いずれも妊娠7〜8週目で、原因は不明でした。
妊娠初期の流産は
自然淘汰なんだと頭では分っていても、そのダメージはどうしても女性側の
心と体に重く大きくのしかかってきます。
その後、病院を転々としながら、ホルモン治療、タイミング療法等を試みましたが、
妊娠には至らず、月日だけが過ぎて行きました。
是が非でも子供が欲しい、という訳ではなかったのですが、年齢的なリミットも迫っていましたし、
後になって後悔しない為にも、できる事はやっておこうと思い、私は仕事を辞めることを考え始めました。
不妊治療を経験された方はお分かりでしょうが、病院をかえるということは、その度に同じような検査を最初から受けなくてはならず、
時間的なロス、経済的な負担、また精神的にも多大な苦痛を伴うものです。
そして、指定された日時に確実に病院に行かねばならず、仕事を続けながらの不妊治療というものは、ほとんど不可能に近いのです。
保険も適用されず、周囲の理解も得られず、そういった意味で不妊治療のための社会的環境は、全くと言って良いほど
整っていないのが現状です。
そして私は退職を決意し、退職前にメディカルチェックの為にと思い、人間ドックに入りました。そして、その病院の婦人科のS先生は、
「妊娠はするのだから不妊症ではなくて、不育症ですね。」と診断され、それまでの病院とは違う見地からアプローチされたのです。
そして、そのおかげで私は徹に逢うことが出来たのです。S先生には深く深く感謝しています。
退職後、一通りの検査を終え、S先生のGOサインのもと、3度目の妊娠をしましたが、やはり流産に終わりました。
その直後の血液検査の結果、私と夫のHLA(リンパ球の型)
の不適合が判明しました。免疫的に似すぎていたのです。
免疫治療を終えて約2ヵ月後の、1995年5月19日妊娠が判明しました。この時、まさか2年足らず後に、こんな別れがあるとは夢にも思わず、
ただ喜びと感謝で一杯でした。
免疫療法はいまだに学説としては確立されていないようですが、
私たちには有効だったと思われます。
つわりもなく、順調に妊娠期間を過ごし、予定日の一日遅れの95年12月
31日(大晦日!)に高齢ながら無事出産しました。徹の誕生です。
私は39歳と1ヶ月になっていました。
育児は楽しい事ばかりでした。夜泣きもせず、好き嫌いもなく、病気もせず、アレルギーもなく、標準どおりに育ち、いつもニコニコしていて、
周りの先輩ママ達は「こんなに育てやすい子いないわよ。」と感心していました。