≪母として≫

目次
1.徹が生まれるまで〜不妊治療のこと〜
2.1997年5月6日〜その日起きた事(1)〜
3.1997年5月6日〜その日起きた事(2)〜
4.そして5月7日
5.その後の事〜今の気持ち〜
6.もうひとつの環境の事
7. 医療者として

1.徹が生まれるまで〜不妊治療のこと〜

30歳で結婚し、その後も仕事を続けていた私は、結婚4年目と5年目に流産を経験しました。 いずれも妊娠7〜8週目で、原因は不明でした。
妊娠初期の流産は 自然淘汰なんだと頭では分っていても、そのダメージはどうしても女性側の 心と体に重く大きくのしかかってきます。

その後、病院を転々としながら、ホルモン治療、タイミング療法等を試みましたが、 妊娠には至らず、月日だけが過ぎて行きました。
是が非でも子供が欲しい、という訳ではなかったのですが、年齢的なリミットも迫っていましたし、 後になって後悔しない為にも、できる事はやっておこうと思い、私は仕事を辞めることを考え始めました。

不妊治療を経験された方はお分かりでしょうが、病院をかえるということは、その度に同じような検査を最初から受けなくてはならず、 時間的なロス、経済的な負担、また精神的にも多大な苦痛を伴うものです。
そして、指定された日時に確実に病院に行かねばならず、仕事を続けながらの不妊治療というものは、ほとんど不可能に近いのです。

保険も適用されず、周囲の理解も得られず、そういった意味で不妊治療のための社会的環境は、全くと言って良いほど 整っていないのが現状です。
そして私は退職を決意し、退職前にメディカルチェックの為にと思い、人間ドックに入りました。そして、その病院の婦人科のS先生は、 「妊娠はするのだから不妊症ではなくて、不育症ですね。」と診断され、それまでの病院とは違う見地からアプローチされたのです。 そして、そのおかげで私は徹に逢うことが出来たのです。S先生には深く深く感謝しています。

退職後、一通りの検査を終え、S先生のGOサインのもと、3度目の妊娠をしましたが、やはり流産に終わりました。 その直後の血液検査の結果、私と夫のHLA(リンパ球の型) の不適合が判明しました。免疫的に似すぎていたのです。

免疫治療を終えて約2ヵ月後の、1995年5月19日妊娠が判明しました。この時、まさか2年足らず後に、こんな別れがあるとは夢にも思わず、 ただ喜びと感謝で一杯でした。

免疫療法はいまだに学説としては確立されていないようですが、 私たちには有効だったと思われます。
つわりもなく、順調に妊娠期間を過ごし、予定日の一日遅れの95年12月
31日(大晦日!)に高齢ながら無事出産しました。徹の誕生です。
私は39歳と1ヶ月になっていました。

育児は楽しい事ばかりでした。夜泣きもせず、好き嫌いもなく、病気もせず、アレルギーもなく、標準どおりに育ち、いつもニコニコしていて、 周りの先輩ママ達は「こんなに育てやすい子いないわよ。」と感心していました。

95年12月31日、病室にて