≪母として≫

7.医療者として

徹がSIDSを発症する直前に受診した病院の先生が、院内報に寄稿された文章です。 今回、家族の会の病院アンケート結果とともに送って下さいました。
「その当時書いたものですから、医学的な情報は変わっているかも知れませんが・・・」とのことですが、 転載の快諾を得ましたので掲載させていただきます。
先生には徹が生まれてからずっとお世話になっていました。
突然の不在は身内だけではなく、周りの全ての人にも衝撃を及ぼすのです。

乳幼児突然死症候群

小児科部長 M

ゴールデンウィーク明けの5月6日に発熱と咳のため、小児科を受診したY.Tちゃんが、 自宅に戻って約2時間後に、呼吸停止の状態で発見され、九大病院に運ばれましたが、治療の効なく翌日 亡くなりました。解剖の結果、『乳幼児突然死症候群』と診断されました。1歳4ヶ月の可愛い盛りの 男の子でした。この突然の悲しい死に、私たちはショックを受け、小児科と産婦人科外来スタッフで、この疾患について 少し調べてみましたので報告いたします。

 まず、乳幼児突然死症候群(Sudden Infant Death Syndrome:SIDS)とは「乳幼児が突然に死亡した」という状況の表現ではなく、 確立された一つの疾患単位の病名であると理解してください。

 SIDSは、最近発見された原因不明の奇病でも文明病でもありません。その歴史は古く、聖書にまで遡ります。旧約聖書の中に、 母親がその乳房で乳児を圧死させたくだりがあり、これがSIDSの最初の症例であろうと言われています。1892年、英国の Templemanが258例の乳児の窒息死を報告していますが、剖検所見などから大部分がSIDSと考えられます。

 では何故、最近になって注目されるようになったのでしょうか。日本をはじめ、欧米の先進国において感染症や下痢、脱水症で死亡する乳幼児が 激減し、相対的にSIDSの重要性が浮上してきたのです。現在、先進国において、SIDSは新生児期を除いて乳幼児の死亡原因の第1位となり、わが国に おいても、その発生頻度は出生1000に対し約0.5と推測されています。

さらに、SIDSにおいて問題となるのは、全く元気だった子が病院などの医療機関でなく、 家庭や託児所、ベビーホテルなどで死亡することにあります。病死(SIDS)なのか事故死(窒息死)なのかの点で法廷で争うケースも生じています。 元横綱・千代の富士の三女がSIDSで死亡したことがマスコミにとりあげたれたことなどにより、わが国でもSIDSに対し、徐々に関心が高まるようになりました。

 わが国では、欧米に遅れる事20年、1981年にやっと厚生省研究班が発足しました。1994年度の研究班の新しい定義によるとSIDSは 「それまでの健康状態および既往歴からその死亡が予想できず、しかも死亡状況および剖検によってもその原因が不詳である乳幼児に突然の死をもたらした症候群」 とされています。日本では乳幼児突然死症候群の剖検率が10〜20%と極めて低いため、国際間の学問的な比較が出来ないことより解剖が必要となり、また(日本では まだそれほど多くありませんが)欧米特に米国では被虐待児症候群による死亡が多いため、死亡状況の情報が必要とされています。米国では、相次いで乳幼児が死亡し 遺伝性疾患による突然死が疑われましたが、実は母親による子殺しであったことが判明した例があります。

また、near-miss SIDS(未然型SIDS)「それまでの健康状態および既往症からその発症が予測できなかった乳幼児が、突然の死をもたらしうるような除脈、不整脈、無呼吸、 チアノーゼなどの状態で発見され、死に至らなかった症例」と定義される疾患があり、SIDSと異なった疾患なのか、あるいは前者がSIDSの軽症型または早期に発見されて 治療を受けたため死に至らなかった疾患であるかは議論が分かれています。米国NIHは「本症とSIDSが同疾患である印象を与える用語は適切ではない」という理由から、 ALTE(Apparent Life Threatning Event)を提唱しました。

さて、SIDSの病因に関しては、これまで呼吸循環器系、内分泌代謝系、中枢神経系、感染症、さらに中毒や事故といったあらゆる面から膨大な研究が続けられてきましたが、 その全貌が明らかになっていないのが事実です。しかし、キャベツの葉のようにSIDSを取り巻いている、乳幼児に突然の死をもたらす種々の疾患がひとつひとつ解明され、 次第に真(芯)の姿が浮かび上がってきているように思えます。

 通常の乳幼児に見られる、無呼吸や除脈などの異常に対する自己回復の機能である覚醒反応の低下がSIDSの中心病態であり、妊娠中における脳幹部の微細な異常が覚醒反応の 低下をもたらし、軽い感染などによって誘発される睡眠時無呼吸からの回復が遅れ低酸素状態となると、さらに呼吸中枢が抑制され悪循環に陥るという考えが現在の推論です。

 哺育姿勢とくに“うつ伏せ寝とSIDSの関係”が最近話題のひとつになりました。オランダやニュージーランドでは、うつ伏せ寝を減少させるキャンペーンによりSIDSも減少し、 アメリカでは、新聞に睡眠時のうつ伏せ寝はよくないという大きな記事が掲載されたところ、SIDSの発症が減少し、その新聞が配布されなかった地域では、SIDSが増加したという 事実があります。つまり疫学的な観点からは、SIDSとうつ伏せ寝との関係は疑う余地はありませんが、両者の関係についてはまだ不明な点が多いようです。

 SIDSは、今まで元気であった乳幼児が突然死するという、家族にとっては極めて精神的なストレスの多い経験であり、病院内で病児が死亡するのに比べ、母親や家族への影響は大きく 特に母親は可愛い盛りの子を突然亡くした悲しみに加え、自分をさいなむ罪の意識、および周囲からのいわれの無い避難を浴びるという三重の苦しみを味わうことになります。そういう家族の 人達を精神的に援助する自助グループが、同じ苦しみを味わった人達でボランティアによって組織されており、日本でも1992年に『SIDS家族の会』が結成されました。

 その日、自宅で眠っていたTちゃんは、空に大好きな飛行機の音を聞き「ブーン」と言ったあと間もなく呼吸が止まりました。お母さんは今でも飛行機が頭上を飛ぶたびに胸がしめ付けられるとおっしゃっていました。
 幼い子を突然亡くされたご家族のためにも、一日も早い病因の解明が待たれます。