≪母として≫

5.その後のこと〜今の気持ち〜

「一人ゆく 黄泉路の旅や いかならん 振り返りつつ 母呼びいんか」

これはその頃、私の実家の母が作った短歌です。 全くの偶然なのですが、私はその頃毎晩のように、この歌の内容の通りの夢を見て、 泣きながら目が覚めていました。その夢の中では、徹が私を探して泣きながら、山の中をよちよち歩いていました。 「ママー」と私を呼ぶ声でいつも目が覚めました。私は今もその声を忘れる事が出来ません。

子供をなくした多くのお母さんがそうであるように、私も“子供を死なせた母親なんて、笑ってもいけない、ごはんを 食べてもいけない、息をしてもいけない。”と、自分を責め続けていました。

でもそれは、単に感傷に浸っていたいだけなのかもしれません。
徹の死から4年経った今ようやく「生と死の違いは、ひとつの人生を違うブラウザを通して見るようなもので、 死は単なる通過点に過ぎない。」と考えられるようになりました。

とは言っても、ジグソーパズルの1ピースが足らないように、私の心に徹の形にぽっかりとあいてしまった穴は、 どうしようもないのです。
この先、時がその輪郭をぼやけさせる事はあっても、決してその穴がふさがる事はないのでしょう。

徹は私たちの子供で幸せだったのでしょうか?あの子は、この世に生まれてきた役割を、 1年4ヶ月で果たしたのでしょうか?私たちがあの子に巡り会った意味は何だったのでしょうか?

この問いに、まだ明確な答えは出せないでいますが、徹は幸せだったと、
そして永遠の命を得た今、 前よりもっと幸せでいると私は信じています。

97年3月15日
シーホークホテル&リゾーツにて